連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久闘病史 その77
明くる18日の朝9時前に手術室に到着。手術室でやるんだっけ?エーッ、そんな大変なことだった
っけ?と少し動揺する。9年前に初めてFRAを受けているが、10回の入院の中で一番体調が良くな
く、殆どをベッドに寝たまま過ごしていた。その為か、多くのことをあまり覚えていない。治療そのものはとても楽だった記憶だけがあり、検査室のようなところで受けたような気がしていた。手術室という場所が醸し出している独特な緊張感が、事前に準備されていなかった私の心を動揺させた。
ただ、この手術室は21年前の初めての癌切除手術の時に利用したし、2回の血管造影検査時にも利
用している。馴染みのある場所ゆえ、大きな驚きはなかったが、心の準備を取り違えていた。結婚式のつもりで行ったら、告別式だったなんてことはあり得ないか、、。深呼吸をして、心を整えているところへ、手術着に着替えた担当医が扉を開けて入ってきて、声を掛けてくれた。明るく朝の挨拶を交わし合えたので、気持ちを切り替えることができた。
医師と看護師が手際よく準備をしている間に、冷たかった手術台も肌に馴染んできた。じゃあ、始めましょうかという声と同時に、手術着が頭の上にまくり上げられ、視界が遮られたが、局所部を覆うT字帯の他は真っ裸のまま手術台の上の横たわっている自分の身体が俯瞰された。昨日術前の説明に来た若い看護師がT字帯についてはっきり認識しておらず、訊いてきますと去ったまま帰って来なかったことが思い出された。ばかったれーと毒づいてみた。
準備が整ったところで、「小濱さん、じゃあ行きますよ~!」と声がかかった。消毒しますという声が聞こえてすぐ、みぞおちのあたりが冷たくなり、一瞬身体が強張った。案山子になったような気分だ。麻酔の注射が打たれてから、エコー画像を見ながら部位の確認を慎重にしているようだったが、間もなくして針が刺された。慎重に奥深くへと針が向かっている途中、押された時の強い圧迫感を伴う深い鈍い痛みというか、えもいわれぬ感触がし、思わず腰が引けそうになった。が、逆にお腹に力を入れて踏ん張った。
前回は痛みも痒みも感じないようなあっけなさだったような気がするのだが、眉間にしわを寄せ耐えることで精一杯だった。「じゃあ、これから電気流しますだったか、スイッチいれますだったか?」定かな記憶がないが、お腹の奥が幾分か温かくなったように感じた。ほんの数秒の瞬間芸で、すぐ「終わったよ!」と声がかかったが、緊張していたようで身体が強張っているのを感じた。肩にも力が入っていた。これしきのことでと内心自分にダメ出しをしてから、身体をほぐしていった。手術室は温度が低いので、結構身体も冷えていた。
手術室の準備室で病棟看護師の迎えを待って、病室へ帰った。いつかも書いたが、最近の入院は同室患者と全く話もしないまま、名前さえ覚えずに退院してしまうことが多い。昔なら、大変な検査や手術で病室を出かける時は「頑張ってね!」、帰ってきた時は「お帰り。」と言い合ったものだが、最近は全くコミュニケーションがないのが寂しいなぁと感じる。良い意味での励まし合いは闘病生活を益あるものとするのに、残念なことだ。
その分、家族が毎日来院する人も多く、カーテン越しに毎日話し声が聞こえるとうるさいなと感じる時もある。今回はこの「闘病記」を書くためにパソコンを持ち込んでおり、主に執筆をしながら、疲れたら読書と散歩をした。18日は39.7℃まで熱が出たが、夕方には病室内歩行が認められ、37.2℃、37.5℃、37.0℃と順調に下がって行った。19日は病棟内、20日は病院内と行動範囲が広まり、20日には4,735歩も歩いている。速報という形で入院生活を書き綴った。
消灯時間は9時で早くて寝入れないので、いつも10時まではデイルームで読書をさせてもらってい
る。今回持って行った本は「世界の名著」の中の「ニーチェ」と軽い読みものだ。入院中唯一のひとりきりになれる至福の時間でもある。入院した14日が67回目の誕生日だったが、この歳までよく頑張ったねとたまには自分をほめてみた。しかし、何も出ては来なかった。
