八障連通信403号をアップします。

【八障連通信400号に寄せて…かな?ついでに近況なりとも…前八障連代表 夛田 靖史】

ご無沙汰しております。夛田です。今年の初めに送られて来た八障連通信を見て、400号と気が付き有賀事務局長へ「何か企画の予定はある。たまには何か書きますか?」とmailを入れたところ、一言「みんなと相談します」と返事があり、しばらく間があって忘れた頃に「よろしく」と来て、リセットした頭を再起動して書き始めています。

 とは言え、さてさて小生を知る人、認識している人がどの位残っているのか、皆目判らないので、先ずは自己紹介兼近況から入ります。杉浦さんが代表を引き受ける前に代表を、その前は事務局長をと、かれこれ20年以上は、というか八障連が立ち上げる以前からの八王子の福祉の流れを知る人間の数少なくなった中の一人という方が早いと思います。
 脳性マヒの当事者ですが、一般的な両手両足に障害があって電動車いすで大暴走するあのタイプではなく、上半身に障害が集中していて歩ける代わりに日常生活の8割は足でこなすことを強いられ、それ故に理解されにくく大変な思いをする場面もままある。そんなイメージで、いうなれば希少生物の部類でしょうか。

 八障連では、代表を降りてからは顔も口も極力出さないようにしています。一度小さく一言意見を出したら、意味もなくざわついてしまったので、それ以来、役員諸兄にお任せとしています。なんでやろなぁ、とも思いますが…。


 近況はというと、一言でもう大変です。若い頃に脳性マヒの先輩から「脳性マヒは60歳まで生きてやっとだから…」と聞かされていたので、「我が人生も60迄」と思い生きてきたら、何てことも無い半ばを過ぎてもまだ生きています。ただ、身体は正直なもので還暦を過ぎて毎年のように不調な部分が増え、その度にあたふたして飲む薬の種類が増え、いつの間にやら遠距離・長時間の移動が厳しくなりして、『老化は駆け足でやって来る。先生〜に怒られるぞ〜」と、そんなことをひしひしと実感しつつ日々を過ごしています。
 さて、そろそろ八障連通信の話題に移りますが、400号って、何気に良く続いているなと感じます。1984年の発足当初を除けば、ほぼコンスタントに毎月発送されていて、これだけでもすごいことです。因みに、書き始めてから気が付きましたが、八障連が今年で40周年になりますね。で、通信が400号(ちょっと計算が合いませんが色々あると思います)で、そんなことを役員諸兄の誰も気が付いていない。これもまた八障連らしいと思います。

 先日何かの資料にと、我が家にストックしている過去の通信を開いて見たら、発刊4号から飛び飛びに、40号辺りからはほぼコンプリート出来ています。改めて読み返したい方は言って下さい。その最初の何号かに小濱さんの名前がありました。そう『闘病記』を書いている小濱さんです。八障連立ち上げ当初は事務局長と代表を歴任していました。どういう関係で掲載されているか知らない方も多くなって来ていると思います。改めて一言お伝えしておきます。
そうそう通信の封筒のデザインが最近変わったことに気づいた方もいるかと思います。
以前のデザインに馴染んでいた方もいたのではないでしょうか。あのデザインを見て習慣的に手に取ってみる。そんな方もいるかもしれません。変わった事情は自分にはわかりませんが、あのデザインは200号前後の頃に当時の事務局長だった川出さんが、夜鍋をして作ったものでした。そんなに目立たないものですが、何気に良いデザインだったと思いませんか。

最後に読者の皆さんにお願いがあります。自分が役員だったころに実際にあったことですが、とある団体の事務所に用事で伺った際に、代表の方の机の上に八障連通信が封も開けずに山積みになっているのを目にしたことがありました。当の本人は「すみません、忙しくて読んでいる暇がなくて…」、言い訳にもならない事を口にされて怒りよりも呆れてしまいました。後に市の職員組合の方に訊いたところでは意外とあるあるの話しではあるそうですが、内容の評価は読者それぞれとして、作っている方は忙しい時間を割いて作っています。だからこそ、絶えることなく40年間・400号続いて来ています。せめて封はちゃんと開けて中身の確認はして下さい。大事な情報を取り損ねることもあります。
そして出来れば意見や投稿を返して下さい。様々な人の意見が反映されて、キャッチボールが出来ることで内容の向上も図れて、より多くの情報が流せるようになっていくと思います。
過去に役員の一人として携わってきた者の一人として、くれぐれもお願いしたいところです。
以上、止めどもないことを書きましたが、少しでも皆さんの知識の一旦となれば幸いです。次は、500号でお目にかかります。その前に何かあったら声を掛けて下さい。よろしくです。
2024年3月24日 記